意見02:次世代に何を伝えるか1/5/05 テレビ番組(1/2フジテレビ放映)明石家さんまと木村拓哉の「SANTAKU」明石家さんまと木村拓哉の2人の組み合わせはお互いにないものを補い合っていて、見ていて心暖まった。 若手芸人にも説いているそうだが、明石家さんまは今、自分が教えてもらってきた「型」を伝えようとしている。笑点の「大喜利」でよくやっていたような伝統的な「型」である。それを木村拓哉にも番組内で伝えようとしたのだった。 ●「魚鳥木[ぎょ ちょう もく] 2人でお題を出し合う遊びである A:「魚鳥木[ぎょ ちょう もく] 申すか申さぬか」 B:「申す申す」 A:「ぎょ」 B:「さんま」 これを交互に続けていく。相手と同じことを言ったり、つまったりしたら負け。 ●無理問答[むりもんどう]:相手の話に合わせないのがルール A:「いいスーツ、着てますね」 B:「あしたはいい天気かな?」 A:「どこで買ったんですか?」 B:「釣りにでも行きませんか」のようにテンポ良く、話がかみあわない会話を続けるというもの。ところが木村拓哉はさんまの問いかけに思わず話を合わせてしまい、なかなか上手くいかないところが面白かった。木村拓哉の気マジメなところが伝わってきたよ。 明石家さんまがこういうことをしているのを知って、うれしかった。私も英語教育の場でなにを次世代に伝えたらいいのか考えている。 1/4/05 昨日のテレビ番組:佐藤雅彦の説明的なアニメーションvs.物語的なアニメに寄せて 「だんご3兄弟」「ポリンキー 三角形のひみつはね 教えてあげないよ ジャン」などで有名な慶應大学の佐藤雅彦さんのアニメーション番組を見た。気体のブラウン運動のように、いくつもの球体がふわふわ動いているような一見無意味に見える場面でも人間は意味を見出そうとするという。animation for concepts(概念のアニメ)というタイトルで軽やかな音楽とともに関心(interest)が持てるアニメが紹介された。 私はアニメファンとして育ったので思うのかもしれないが、佐藤雅彦さんの提示するアニメは「説明的」である。いままでのアニメは物語的だったし、私は物語の方が肌に合っている。梶原一騎の作品(タイガーマスクや巨人の星)はまさに昭和の時代そのままの「貧乏」「正義」「勇気」の物語だ。 (以下の「銀河鉄道999」の引用はかなり長いです。すみません) 先日は古いビデオを捨てようか迷った末にやめてしまった。そのなかにはテレビシリーズの銀河鉄道999の「時間城の海賊」が入っている。あらすじを言うと、主人公の星野鉄郎がメーテルと訪れた星にはハーロックがいて時間城に住んでいるという。ところがそれはにせものだった。にせハーロックの愛人のリューズという女性が酒場でギター片手に歌を歌って稼ぎながら、にせハーロックを支えている。歌っている歌は人生に疲れてやってくる男たちに向けた歌だ。 「なにがほしいと言うの 私、それとも愛 つばさ癒す鳥たちも 私がほしいと騒がしい こわれたおもちゃ箱を 子どもみたいに 抱え込んで 涙ぐむの それでどうなるの」 (ちなみに銀河鉄道999の放送は木曜日7時でした!) 最後の場面で鉄郎は愛人のリューズに向かって、にせハーロックは弱いものイジメをしては金を奪っている暮らしで、本物のハーロックではない、と指摘し、あんな卑劣な男と別れていっしょに999に乗って行こうと勧める。しかし、鉄郎が「にせハーロック」と決闘する場面になると、リューズは「にせハーロック」の方に行ってしまう。そこで鉄郎は「なぜなんだ、リューズ。そいつはニセモノだよ」と叫ぶ。 そこでメーテルがひと言「鉄郎、あなたにはまだ男と女の事はわからないのよ」 (再確認しますが銀河鉄道999の放送は木曜日7時、子ども向けアニメでした!) そして「にせハーロック」を倒しても気の晴れない鉄郎が「メーテルはなぜ『にせハーロック』を許さなかったんだい?」と訊ねると、とどめのひと言「あなたにはわからないことよ」。 (くどいですが、999は子ども向けアニメでした!) ちなみにメーテルの声はエースをねらえのお蝶夫人もしている池田昌子さん。そういえば、お蝶夫人は必死にテニスに取り組む情熱の源が何なのかを問われて「ひろみ、あなたにはわからないことよ」と言っていた。むかしの大人は子どもにはわからないことは説明しないで「お前にはまだわからないことだ」と制して語らずにいた。以前テレビで誰かが「これは大人のことだと制して子どもにさせないことがあった」と言っていた。大切なのは「(子どもである)あなたにはまだわからない事よ」「大人になればわかるわ」と発話することで大人への憧れを生み出していたのではないだろうか。 さて、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。物語がなければ「あこがれ」はない、と私は思う。説明は必要だが、説明だけではだめなのだ。そして意味がつかめないかもしれないが、子どもにこそ、999のような大人の物語が必要なのだ。私にとっては999や初期のルパン3世(フランス映画『冒険者たち』に近い雰囲気)が「大人へのあこがれ」を作ってくれた。自分の幸せをかみしめるとともに、次世代にはどうしていったらいいのか思案している。 |